ASCII.jp 写真の点と枠

記事
長谷川さんのぽんハウスで紹介されていたので、リンク。
写真を点で撮るというやり方を書いてある。
自分は難しいことはわからないが、自分のやり方をあえて言うなら撮っているのは空気かな。その場にはその場の持つ固有の雰囲気が間違いなくある。それは過去の歴史であるとか、経緯であるとかそういう理念的なものではなくて、それがある場所ある時間で相互作用して醸し出す空気のようなものだ。もちろん、そこには自分という要素もある。キョロキョロしながら歩いていると、そういう空気にスポッとはまり込む感覚があるときがある。
そういう意味では点よりも面、面よりも空間を撮っている感覚の方が近い気がする。
実際はモノとか動物とか子供によく反応していると思う。そういうアイテムに視点が行く感覚が点で撮るという意味ならば、点で撮ることもあるとは言えるのかもしれない。でも、点であることを素直に認めたくない。なぜなら点という存在は周りの場との関係があるからこそ点としての存在が感じられるからだ。例えば、下の写真の主題のアイテムを全然違う場に置いてしまったら、それはもう別のものだと思うのだ。
構図に関して言えば、こうすればこうなるというのは写真に限らず好きじゃないので、そういうものがあるとはわかっているけど認めたくないというのが正直な気持ちだ。ただ、いわゆる教科書的な構図というものは認めたくはないけれど、構図というものがないとは思わない。撮影ポイントと画角と方向で写真の構図は決まってしまうので、構図がないわけがない。ただ、そう言い切ってしまうとあまりにも無味乾燥である。だから、こういう風に言い換えてみよう、構図とは自分が感じた空気を四角い平面という限られた場に落とし込むときに、その空気の感じを極力損なわないようにするということだ。もちろん、いつでもそれがうまく行くわけではないし、こうすれば正解ってのはないと思う。
写真に限らず、こうすればこうなるとか、こうするべきだとか、こうでなければならないという発想は創造の弊害となる。平たく言えば、それは先入観であり、先入観というのは一人の人間の限られた能力と経験の中で形成された虚構だ。その虚構からは逃れられないのだけど、だからこそ、先入観を捨て、新たなる可能性に賭けてみる勇気とか知恵が必要なのではないかと思うのだ。
ある時間にある場所に自分がいるという証拠を確信を持って写真という媒体に刻み付けることができれば、それが自分にとってはいい写真と言えるのかもしれない。





これらの写真は全てモノクロフィルムで撮影したものをスキャナで取り込んだものである。

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